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    動きの必然性

    昨日は友人の発表会を観に行ってきた。

    といっても、おちびたちの体調があまりよくなかったので、車で出かけたところ、お彼岸の3連休ということもあり大渋滞に巻き込まれ、肝心の彼女のソロは観られなかった(大号泣)。

    でもかろうじて観られた短いブレリアの中にも、彼女の凛とした、筋の通った佇まいの美しさはひときわ光彩を放っていた。

    お教室の発表会では、入門レベルからもうプロとしてやっていけるのではないかと思えるほどの上級者まで、いろいろな踊りが観られる。

    入門レベルで、テクニカはまだこれから身につけていくような段階でも、舞台上で目につく人がいる。

    また逆に、よく踊れているのに振り返ってみると全然思い出せない人もいる。

    この違いって何だろう?と思ったときに、自分をさらけ出す潔さを持っているか否かが一つの要素なのかもと思った。

    自分をさらけ出すことのできる人はとっても魅力的だと思う。

    失敗や弱点も含めて、それさえも楽しむかのように「私はこうなんです」と素直に表現できることは、観る側のふところにすとんと入ってくる。

    でも、これは誰もが簡単にできることではない。

    さまざまな葛藤、コンプレックス、トラウマ、…打ち破らなくてはならないものがたくさんある人だっている。

    私もその一人。

    素の自分をさらけ出すことは重労働だし、さらけ出そうとすると本当の自分とは?自分とは一体何者なの?とどんどん迷宮に入っていってしまう。

    そんな迷いを吹っ切る手段の一つが、振り付けの持つ力なのかもしれないと最近思うようになった。

    その人それぞれにしっくりくる振り付け。

    あるいは踊り手が自分なりに振り付けをきちんと消化して、それが自然発生的に見えること。

    なぜその動きなのか?

    その動きで何を伝えようとしているのか?

    つまり、その動きに必然性があるのか。

    実は以前、振りを習っていたときに、先生が何をやっているのか、何をやりたいのか、理解できないことが結構あった。

    なにも難しいパソをやっているわけではない。

    でも、そのブラソの動き、身体の使い方を含めた全体の空気感が全くつかめなかったのだ。

    当然、私はその先生のようには踊れなかったし、そのように踊る必然性も見出せなかった。

    多分、そのときの私はとってもぎこちなく、踊りにすらなっていなかったと思う。

    中級クラス以上の生徒さんで、やはり心に残る生徒さんの動きには、なぜそうするのかという動きの必然性がきちんと見えるのだ。

    それが振り写しに終わらず、自分の踊りになっているということなのだろうと思った発表会だった。

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